小説が何を備えているのか、小説の役割とは何か、小説とは何か、何が小説なのか、
小説の行き着くべきところとはメタフィクションとしての絶望に他ならない。書く行為としての小説、或いは完成された小説が、単なる自慰でなく「小説」という現象として持ち得る唯一の役割はそれである(というのが私の個人的な考えだ)。それ以上の権限は書き手にはない。一切ない。たとえばそれに価値(美しさ、現実味等)が付加されることは全く別の次元の話なのだということはあまりに明白である。書き手と書き手の「創作される」意識は常にメタ的なものでなければならない。そして凡ての作家はそれを無意識に行っているはずである。
私は何をしようというのか。私に残されていることは何か。私の為すべきことは何か。私は何を書くのか。言語化言語化、発露はそこからしかのぼらない。(着想についてではなく、明瞭に意識されるものについての意で)